Diary

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旅の終わりに。

2007年06月11日
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朝7時起床。8時半にシェムリアップを出発し、バンコクへとまたあの13時間の長い道のりを行く。
私はやっぱり旅が好き。家なき子いっぱい経験したおかげで、何処でも生き伸びていける私の貧乏根性をちょっとだけ誇った。
13時間という時間何をしようかと考え、小説(日本の)を持って来たが必要なかった。ボーっと景色を見ながら何時間バスに乗ってても飽きない。
基本誰とでも友達になれる特技を持つ私は他の旅行者と会話をして楽しめる。
NO TRAVEL NO LOFE。
旅なくして人生なし。。。。。。日本語にするとなんか格好わるい。。。
旅人になりたいなあ。仕事やめて日本出て、世界中をリュックサック1つで歩き回りたい。
どこにそんなお金があるか? でもでも。夢だけは自由に描けるっしょタダで♪

そんな私の新たな夢♪
題して「檸檬爆弾一人旅〜世界中の空を捜して〜」(題名だけは素敵 汗)
旅の始まりは檸檬。私は檸檬爆弾一人芝居を世界中の空の下で演じて行くのだ。
そこら中の空の下に爆弾しかけに行くの。旅先はアジアがいいな。
大きな舞台の上じゃなくて、たった一人の為に舞台を作りたい。
そして伝えたい。同じような痛みを抱えた人達に。

 本当の空は自分の中にあるってこと。幸せの青い鳥は自分の中にいるってこと。

(檸檬爆弾知らない方、ごめんなさい。そのうち映画バージョンが公開されるので、そしたら見て下さいね♪)

それから私は舞台を見てくれたお礼にその人達にレモンをあげる。その変わりにその人が持っている物、何でもいい、例えば一粒のお米でもいいから私が貰うの。レモンと交換に。

私は檸檬の爆弾を仕掛ける変わりに世界中の人々の大切なものを授る。
そしてお米一粒は、次の旅先で檸檬爆弾の芝居の中で生かされる。(小道具として登場、とかね)
結果私の舞台は人々によって作られていく。
うわーーー。。素敵♪やりたい、こんな舞台。

以上。私が帰りのバスの中、描いた空想でした♪

このシナリオは果たして空想のままで終るのでしょうか、それとも。
どっちにしろお金が無きゃ出来ないや。と、現実に戻ってしまった。




気を取り直し。。。
タイ、カンボジア世界遺産巡りの1週間の旅。
行くべき時に、行くべき所へ導かれた気がする。
本当にずうずうしくパリンラープさんの家にお世話になり(半分は私の荷物だけ 汗)、パリンラープさんも左藤さんも仕事してるというのに私だけこんな素敵な旅をさせて頂き、本当に充実した意味のある1週間でした。そして無事に生きてフィリピンに帰ってこれた神様の御守護に感謝します。

そして皆さんに、ぜひアンコールワットに行く時はタイからの陸路で行く事をお薦めします♪
(腰に自信があり、サバイバル好きな方に限ります)


最後に帰りのバスの中でこの歌が頭の中を駆け巡っていたので一部紹介します♪


母なる大地のふところに
我ら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら その立つ土に感謝せよ
恩寵の豊かな豊な大地
大地を褒めよ
讃えよ土を
(大地賛唱より)

人はただ 風の中を
迷いながら歩き続ける
その胸に遥か空で 
呼びかける遠い日の歌

人はただ風の中を
祈りながら歩き続ける
その胸に満ちあふれて
溢れ出す遠い日の歌
(遠い日の歌より)
   一部歌詞間違ってる可能性あり。。。

長い日記読んでくれてありがとう♪

アジアのココロ〜アンコール〜

2007年06月11日
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カンボジア滞在2日目、夢にみたアンコールワットへ向かいました。
今日のスケジュール。午前中アンコールトム→ 昼休憩→ 午後アンコールワット。
アンコール王朝の栄えた9〜14世紀。
ヒンドゥー教の神様に捧げる寺院、そして王自らを埋葬するために作られたアンコールワット。
アンコールは「都市」を表わす。ワットは「寺院」を表わす。アンコールワットは寺院都市。

そしてもう1つ、アンコールトム。これはアンコールワットより後に王によって建てられた都。
トムは「大きい」を表わす。つまり「大都市」

このアンコールワットもかつては栄えた都であった。

私はカンボジア人のガイドを付け一緒に世界遺産を回ったのだが、彼、日本語はかなり旨いんだけど、全て聞き取るのにはかなり困難で時間が惜しいと思った私は、ガイドを待たせ一人で回った。ごめんね、ガイド君。





人間もライオンも鳥もトカゲもシカもサルも鵞もクモもゴキブリも、水の中に住む物言わぬ魚達も、
生きとし生けるもの、全ての生き物達は、悲しい輪廻を終えて消えて行く。

語らぬものの「真実」。此の世で「言葉」が何の役に立つだろう。言葉という「表現」は時に真実を覆い隠す。でも密林の中に静にたたずむ遺産は全てをあからさまにしようとしているような気がした。

「儚い」ものが私は好き。
例えば雪。消えて無くなってしまうから美しい
例えば花。散ってしまうからこそ愛らしい。
例えばお金。無くなってしまうから貴い。
もし。一年中雪や花が、同じ姿形で残っていたらそれは厄介扱いでしょきっと。
もし。使っても無くならないお金だったとしたら、あ、それはありがたい♪て、こらあたし。

そしてその無常なる儚いものの代表が私達「人間」
だから人間は儚いものが好きなのかもしれない。
あ、だからすぐに消えて無くなっちゃうものを手にいれようとするのかな私達は。?

しかし、この巨大すぎる遺跡達は消えてなくなったりしない。滅びたりしない。(地震さえなければ)
黙りかえった千年の歴史が威風堂々とまるで人間に舌を出して笑っているよう。
私はこの絶景に魂と言葉を抜き取られたような気がした。たかが80年の命の人間が、千年の歴史にどう勝てよう。

しかし。その永遠と言えるであろう生きた遺跡、その千年の歴史は「人間」の手によって作られた。
誰がどうやってこんなバカでかい寺院やら王宮やら、阿弥陀様やら仏様やら阿修羅を創案し、創造したのだろう。何の為に?
回廊を歩くと壁に、天井に刻み付けられている数限りない彫刻。
何を思って人々はこの石に彫刻を刻んだ?
これを「芸術」だと言う人、本でも「芸術」と言っている。
私はこれらを芸術なんて安い言葉で収めたくない。

大芸術だ。 (やはり日本語が足りない)

人間が生み出すあらゆる産物は、人間の力だけでは不可能なある絶対なる他力が加わって造り出される。
私は思う。人間では決して手の届かない宇宙意志の力によって此の世のありとあらゆるものが刻々と変化しながら造りだされ、生まれては滅んで行く。


そして私はある悟りを開いた。
「人間」とは何か。何の為に生まれ、何の為に生き、何の為に死んで行くのか。。。
何処から来て、何処へ行くのか。。。


と、無い脳味噌を使い過ぎてしまったのでお腹が空いて来た。
美味しいご飯を食べたい。心臓ドキドキするまでビールが飲みたい。
あ、でもお金がない。。。
誰かかっこいい(願わくば勘三郎みたいな)色男におごってもらえないかしら。
変わりにイチャイチャしてあげるから。 


結局何にも悟っちゃいない。
人間やめてしまえ。


そしてまた次回に続く。
え、もう飽きた? ヽ(`○´)/ 

此の世は人情助け合い〜♪

アジアのココロ〜タイからカンボジアサバイバル〜

2007年06月06日
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滞在3日目、早朝6時半にカオサンに集合していざ、アンコールワットのある街、シェムリアップへ。。。
まず、バンに乗る。このバンでは日本人とアメリカ人、ドイツ人、全部で7人で国境ポイペトの街へとに向かった。隣りに座ったテキサスから来たおっちゃんは口が達者でペラペラ喋る。5割は聞き取れ、5割は知ったかぶりの私(ーー;)
やっぱフィリピン人の英語と違うな〜。早い。。。良い英語の勉強になりました♪
バンに乗り込んでから約4時間半、カンボジア国境手前のレストランで昼食を取る。
私、次に何をするのか、どこにいくのか、いつビザを取るのか良く分かっていなかった私。
テキサスのおじちゃんに聞いた「どうやってカンボジアまで行くの」
返ってきた答えは「わからない」 
ドイツ人の2人組みのキレイなお姉ちゃんに聞いた。私達これから何処にいくの? 
返ってきた答えは「わからない」
日本人に聞いても曖昧な答えが帰ってくる。みんな良く分かってない。
私は相変わらず計画的な行動の出来ない人なので(仕事は別)、他の旅行者に交り、なすがまま流れるままにアンコールワットまで、時の流れに身を任せる事にしました。。。。

そしてそこのレストランでビザを取得して、いざ国境のイミグレーションへ。。バンを乗り換えて大きなトラックに乗せられた。おいおい、これでカンボジア行くのかよ。と思いきや乗っていた時間は約15分。で国境、ポペイト到着。そこから雨が降り始める。ここから国境を越えるまではしばらく歩かなければならない。国境では物乞いの子供達がお金をせびる。待ってましたと言わんばかりに用意していた傘を持って観光客を待ち構えていた。私はタダじゃお金はあげない。もうとっくにびしょ濡れだし、傘もno thank you。ダッシュでイミグレーションへと向かう。イミグレ通過に約1時間くらいかな。
そうしてようやく人生26年目にして始めて国境越えを体験♪ 私のイメージしていた国境越えは、国境の線みたいなのがあって、そこをヨイショってまたいで渡るとそこはカンボジア。。。
ですが。。。全然イメージとは違いました。汗 
何も分からぬまま歩いていたらすでにそこはカンボジアでした。はは。

道路はアスファルトではないので真っ茶色の土で水たまりになり、跳ね返る泥水でズボンが泥まみれになる。そこからタイヤが半分泥水に浸かった原付バイクに5分程乗って、いざタクシーでシェムリアップへ。

国境ポイペトからシェムリアップまでの約5時間の道のりは、とにかく車が前後に揺れる揺れる。。。
穴ぼこだらけの道路、行き違う車から泥水を浴びて窓も何もかも泥まみれ。窓を開けると泥砂で目が痛い。顔をティッシュで拭くと真っ茶色( ̄− ̄)
英語の通じない運転手だったので、一人物思いにふけり、感じたことを書留めようとメモ帳を出したが、なんせ車が揺れすぎて字が書けない。そんな自分に笑っていたら運転手に横目でバカにされました。。。
さすがに眠くなってきたのだが、ここで寝たら舌かんで死んでしまう気がした。(ちょっと大げさ)
このサバイバルと生で伝わる震動は、やっぱり陸路だからこそ経験できるものですねー♪
ポイペトからシェムリアップまでの約5時間は、あっと言う間でした。景色が、街並(村並み?)がさほど変わらない。四方八方見渡す限りの田園、森林草花、青い空、果てしなく続くたった1本の道。
ビルや建物、視界をジャマするものが一切無い。
こんなに空一面を見渡せる景色を見たのは始めてかもしれない。
こんなに空が広いということを知ったのは始めてかもしれない。
そこにテントみたいな簡単な家が立ち、裸足で歩く人、真っ黒に焼けた肌で泥の池で水浴びをする子供達。水牛(おそらく)の群れを指揮する子供、お母さん。
私はこの震動を心臓のど真ん中で感じながら、ここで一人で何にも頼らずに、ただ一人で生きていく自分を想像していた。

まず家を建てる。石を拾って削って尖らせてナイフを作る。そのナイフでココナッツの木を切って四つの柱を建てる。ココナッツの葉っぱを重ねて屋根を作る。これで完成。とりあえず木蔭で涼めるし寝ることもできるから生きて行ける。食べ物はそこらにウジャウジャいる牛を火を焚いて焼いて食べる。これでとりあえず餓死はしのげるだろう。
何もかも一度捨ててここで暮らしてみたい。
知子、ターザンになるお話しでした♪

そうして国境ポイペトから約5時間にしてシェムリアップのホテルに到着しました。
バンコクを朝7時に出発してシェムリアップに着いたのが夜の8時。
約13時間の乗り物旅でしたー。
体は疲れてるんだけど頭は冴えまくっており、寝るに寝られずホテルの人に「外出したい」と言った。
心の中で、「アッシーになってくれー」と訴えた。
言ってみる価値はあるものですねー。20才のかっこ良くはないけど易しい兄ちゃんは原付でアッシーになってくれました♪ 
行った先はもちろん♪ スパ♪(タイ式マッサージ)10$。まあまあの値段かな。
私はタイ式マッサージより、何式だか分からないけどフィリピンのマッサージの方が好き。

さて。
明日こそあんこーるわっとです♪ アンコールビールを飲みながら一人床に着きました。
わくわくして眠れませんでした。。。

次回へ続く♪  長っ   ごめんねっ

アジアのココロ一人旅〜タイ編〜 

2007年06月06日
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フィリピンからタイ王国へ。タイ王国からカンボジア王国へと1週間一人旅をしてきましたっ♪
その様子をお伝えします♪長い日記なので、暇な時ビールでも飲みながらタイとカンボジアを想像して下さいね♪私もビール拝借っ。PHOTOで写真見れます(/・ω・)/



マニラ空港から約3時間のフライトでバンコク空港へと到着。
空港から宿泊先の日本語ペラペラのパリンラープさんの自宅まで高速道路を走りながら街並みを見渡す。
最初に私の口から出てきた言葉は「タイはキレイですね」
パリンさん「左藤さんと同じ事言ってますね」(左藤さんもフィリピンに住んでる方です)
どうやら私、今住んでいる所と比べてしまったみたい 汗
高速道路もあり、道路はキレイに整備させている。走る車も高級車に見える程キレイ。ビルが立ち並ぶ。
日本とさほど変わらない景色でした。
 目に入ってくるものは、おたまじゃくしみたいなヒョロヒョロした文字に見えない文字、タイ語の看板。
至る所に掲げられているタイ国旗と王様の象徴の鮮やかな黄色の旗、そして王様の写真。。。
タイは黄色。勝手に私はタイの「色」を決めました♪(ちなみにフィリピンは赤オレンジ)
人々を見ると何故かみーんな黄色のポロシャツを着ているんですね。不思議に思った私は、パリンラープさんに何故かと聞いてみたところ。。。
タイではそれぞれの曜日に「色」があるみたい。その日は月曜日、月曜日は黄色の日。そして王様の産まれたのは月曜日。
といわけで、タイ王国の国民は月曜日には黄色のポロシャツを着る習慣があるらしいです。
私は、檸檬爆弾で智恵を演じたせいで黄色を愛する人間になり、おかげで黄色のものには目がない。
ということで、檸檬色のタイは私は大好きだ。(強引だあ)

始めてタイで食べた屋台のヌードル「グワイティアオ」
辛〜!!→ あ、でも美味しい!→ あ、もっと辛く〜!
↑こうやって私はタイ料理がスキになって行きました。飯の旨いタイは大好きだ。(単純だあ)
その夜、パリンさんの家族とお友達、左藤さんと私と本場のタイスキを食べました。


2日目、パリンさんがアユタヤに行く用事があるというので、私はずうずうしく車に乗せて頂き、タイの世界遺産、アユタヤへと向かいました。
1350年から417年間にわたり33人の王様によって築かれたアユタヤ王国。タイの歴史で1番長い時代の都。この大都市で今から何百年も昔、王様と人々はここに存在していた。。。レンガのような石を積み立てて作られたと思われる宮殿と崩れかけた寺院、そして頭だけを取られた仏像がいたる所で見られる。ビルマ軍との戦争によってアユタヤは破壊されてしまったらしいです。
度重なる戦争で破壊され、失われた都には平和が訪れたのだろうか?私はアユタヤで何だか刹那さを感じました。
古代と現代とを繋ぐ架け橋みたい。何百年もの時が経った遺跡を私は歩いている。凄く不思議な気持ちでした。


さてさて。その後バックパッカーの聖地、カオサンへ。かなり好きな雰囲気だあ。大好きな街、高円寺を思い出させる。こんなちょっとアンチークでレトロな雰囲気の街が好きな私にとって、カオサンは居心地が良い。さすがパックパーッカー聖地!洋服も安くて可愛い。値切る技術をフィリピンで身に付けた私は、まあまあ良い買物をしたのではないかしら。ラコステのタンクトップ2枚で200パーツ。約600円。これ日本では買えないでしょう♪(あ、フィリピンでは買えるや。。。)
それからカオサンの旅行会社を探し、カンボジア行きのバスを調べる。どうしても空路じゃなくて陸路で行きたかった。(お財布が乏しいせいもある)
そして見つけました♪
カオサンからアンコールワットのある街、シェムリアップまでホテル代、アンコールワットのガイド込みで2800パーツ(9000円弱)きっと旅行会社通さずバスチケットだけ取って自力で行けばもっと安かったでしょう。しかし。
私も一応は女の子なので、経験しなくて良いデンジャラスを避け、旅行会社へお願いしました。そうしてアンコールワットまでの切符を手にした私は一人胸がドキドキでありましたー♪

3日目。バンコク観光にあたり、美術館と国立劇場と博物館がカオサン近くの同じ地域にあるので、さっそく行ってみる事にしました。地図を見ながら目的地を捜しているとトゥクトゥクの運転手が声かけてきたので、地図を指しながら「こことこことここに行きたいんだ」って事を伝えたら何とも魅力的な提案をしてくれたのです。私の行きたい所+観光地に案内してくれるという。ぼったくられるのかと思い、いくらか聞いたところ30パーツ。約100円。昨日乗ったトゥクトゥクが30バーツだったから、そんな高くないだろうと思い、トゥクトゥク借り切って、約1時間、お寺や歴史的な建物を見て回りました。23歳のちょっとイケ面のお兄ちゃん。英語は私より話せない。でも一生懸命教えてくれる。
あ、タイでは英語が殆ど通じないの。私が道を聞いた人達もタクシー、バス運ちゃんも殆ど通じない。英語が通じないのなら日本語はどうだ!?と思って試しに日本語で話したら、案の定。
通じませんでした ははは。 

バンコクは暑い。マニラより暑いような気がする。トゥクトゥクで風を切って走ると気持ちいい。フィリピンのトライセクルは小さくて狭くてちょい窮屈だけれど、トゥクトゥクは乗心地は快適です。(排気ガス汚染以外)
残念だったこと。国立劇場で舞台が観れなかった。閉まってた 泣。
美術館が4時までしか開いてなくて行けなかった 泣。
気を取り直して♪
さあ♪明日はカンボジア♪夢に見たあんこーるわっとだ♪


後編へ続きまーす♪

英語と演技と。。。

2007年05月27日
 英語を学ぶことと、演じるということ。共通するものがあるような気がする。英語で人と話す時って、自分じゃない自分が見えたりする。
日本人の特長と言われる「内気」「曖昧」「お人よし」。
知子、お前はイノシシだ、とか、ズカズカものを言い過ぎる、とかって誰かさん達は言うけどね、いちよ私も日本人なので、基本は曖昧ですー。
良い面でもある半面、悪い面もあるのだけれど、英語で人と会話をする時は、そんなこと考えてたら何も喋れない。そんな曖昧な自分で物云ってられない。(私の英語力の乏しいせいもある 汗)
それって自分と違う自分を「演じる」ということになるのではないだろうか。
んでまた違う自分を発見してそっちの方が心地よかったりする。
それは自分では無いのか。そうではなく、自分でなくなった自分が、そこで消化して自分になる。
「あ、これって芝居と一緒だ」英語を学び始めてそう思った。
私は英語を通して芝居を学んでいる。

数日前、英語でスピーチをする機会を頂いた。内容は自分の人生についてみたいなもの。(台本あり(ーー))
言葉じゃ伝わらないこと、言葉じゃなければ伝わらないこと、人には色々な表現方法があるが、「言葉」という手段を使うのであれば、どんなに英語のセンテンスを丸暗記しても、そこに気持ちが入っていなければ人には伝わらない。
芝居もそう。完璧に台詞を丸暗記してもそこに魂が無ければ伝わらない。
なおかつその魂で人の心を動かすことが出来たかと言う事は自分で決めるものではない。
それは相手が受け取るものだから。

私は「言葉」を使う表現方法が何よりも難しいと思う。
言葉で人を騙すことは簡単だし、言葉で人を殺すこともできてしまう。でも反対に言葉で人から涙を誘うことも感動を与えることもできる。
だけど。「本物」は言葉じゃなくて「心」にある。心で感じる本物を言葉を使っちゃったら安っぽくなってしまうと思いませんか?
「愛してる」と恋人に言えば満足するの? 本当に本当に「愛してる」って気持ちが大きくなって風船みたいになって弾けた時に最後の手段として「言葉」を発したいと思うのではないか。それで始めて相手の心に届くのではないかしら。

 舞台を見ていて、役者に説明台詞をダラダラされると私は頭に来る。
その舞台でたっくさんの言葉が飛び交う中、言葉でしか理解できない客を騙すことは簡単に出来てしまう。結局マスターベーション、自己満足である。私がやってきた舞台も結局そんなもんでしかない。
今私はそんな三流の舞台は目指していない。

 お客様がお金払って足運んで来て下さるのには、訳がある。何かを「求めて」来るのであって、私達役者は「与え」なければならない。でも相手の「求めていること」が何なのか分からなければいくら与えたとしてもそれは林檎を欲しいって言ってる人に梨をあげるようなもので、結局「与えた」と勘違いした私達役者の自己満足である。
相手の気持ちを理解せずして与えることは不可能です。舞台はお客様あってのものです。
人を理解する。。。こんな複雑な人間をどう理解するのでしょう。でもそれを理解することが役者だと思っています。
林檎が欲しいと思う人に林檎をあげられるような役者になりたい。(一生かかっても無理かしら?)

 言葉を使う表現方法が何よりも難しいと思うのは、本当は言葉なんかいらない「本物」を、あえて言葉を使って表現しなければいけないから。
日本の昔の映画の良い所は、人間の微妙な心の動きを少ない言葉とそして空気だけで、しかもフィルタ−を通して感じさせることが出来る。
微妙な心の動きを持つ、そして人から感じることの出来る感性を持つ日本人だからこそ表現できるのだと思う。

「切ない」を英語でどう表現するか?淋しさよりも少し暖かい、暖かいより少し悲しい。。。
「sad」「sarrow」「sentimental」違う。
「もどかしい」と英語でどう表現する? 辞書によると「impatient」「irritate」
なんで「我慢できない」と「イライラする」と「もどかしい」が一緒なんだ!?わかりません。
ま、つまり、日本語で考えチャだめなんですねこれ。英語は英語で考えて英語の表現に合わせないとね。。。 
何が言いたいかって言うと、日本語は素晴しい。ということ!日本人の感性がやっぱり好きだ。時には窮屈だとしても。
そんな元々お人よし、曖昧、勤勉、バカ正直、内気、几帳面、内交的。。。こんな繊細なメンタリティーを持つ日本人が今の人間関係の希薄な競争社会に拒絶反応を起こしているのではないでしょうか。行き過ぎた文明、多すぎる情報。物。金。。。目に見えるものは全てじゃないのに。
なんでそんないつか無くなっちゃうようなものを欲しがるんだろう私達は。
求めすぎるから傷ついてどうしようも無くなっちゃう。求めなければ傷付かずに済むのに。人はそんな器用じゃないし、マリア様みたいになれないね。

言葉じゃなく、情報じゃなく、心でしか感じられない場所がある。
私はどうせならそんなかけがえのないものを手にいれたい。
目に見えないものを信じる勇気♪ 最高の日本に産まれた日本人に。。。

英語のスピーチを通して「言葉」の大切さと、「演じる」意味、そして「日本文化」の美しさ、を再確認した私でした。

色気も脳味噌も演技力もありませんが、体力と好奇心と勢いだけは人一倍の役者です(ーー;)
舞台の上でなくても♪

それでは♪最愛の人の歌から一節♪

終ることがない僕らの旅路
また立ち止り また導かれ
少しずつ学んでく
悲しみが沈んでは情熱が昇る
そして歩き出す
ささやかな生活のそばには
水 空気よ
風 大地よ
神よ ささやかなる愛を

お財布の行方

2007年05月11日
マニラでお財布をスラれてから約1か月経った頃でした。
エドと名乗る知らない男性から私の携帯の方にテキストメールが入って来ました。
内容は
「あなたの銀行のカードの入ったお財布を拾いました。私は レッドリボン(ケーキ屋さん)で働いています。
 ここに来ればあなたの財布をゲットできますよ」
というものでした。

神様に感謝しましたー。盗まれた財布を心優しい人が拾ってくれてわざわざ連絡をくれたなんて。。。
私、財布の中にNGOでお世話になった日本人の友達の名刺と、パスポートコピー、そして自分の携帯番号の書いてあるカードを入れてあったんです。それでエドは私を付きとめ、連絡をくれました。
フィリピンで盗まれた財布が帰ってくるなんて100%ありえないと思っていたので、
それはそれはラッキーでした♪

バギオにいた私はすぐ5時間かけてマニラに行きました。が。
もし、その人が悪い人だったら。。。という疑いもあり、真光左藤さんとTeacher Carlaに一緒に行ってもらいました。

疑いはなんのその、エドはかなりとっても良い人でした♪ 疑ってごめんね。。
中身を確認したところ、お金が入っていました♪

何円かって?
  1円にも満たない小銭でした。。。。
400円程度盗まれたものの、銀行のカードやらは残っていました♪
(貧乏人から財布を取っても儲けにはならないっつーの!へへ)

おそらく犯人はお金だけ盗って財布を捨てたのでしょう。
それで心優しいエドが拾っちゃったものだから、これは届けないと!と思ってくれたのでしょうか。。。
彼は「フィリピンの悪い人達にとってあなたのような外国人は大好物の被害者ですよ。
今後は気をつけてね」
と言って財布を返してくれました♪

親戚の今ガンと戦っているおじちゃんが買ってくれたアニエスのお財布。
物使いの荒い私なのでもうボロボロだけど、これ2年くらい使っています。
巡り巡って私の元へ返って来ました。


私はその夜またレッドリボンを訪れ、エドと一緒にケーキを食べました♪


おめでたいよ♪

2007年05月11日
まず1つ目のネタをご紹介します♪
バギオですっごく素敵な所で安くて申し分のないボーディングハウスを見つけたんです。山のてっぺんにあって夜景がとってもキレイで空気汚染も無いし、かなり気に入ってたんですね。
そこに住み始めて2週間くらい経った頃かなー。何だか食事の量がどんどん質素になって行くんです。
おかずがね、例えば小さいコロッケ2個と、キュウリの漬け物みたいなのが2切れ。That's all。。。。
こーーーんな大きなプレートにたったそんだけのおかずって、おい。
大食いの私には少なすぎてですね、しかもお金払ってるし。
もうこれは文句言うしかない!と思って


勇気を出してそっと聞いてみました。
  「ご飯もうちょっと食べたいんですけど。。」
したらこんな答えが帰ってきました。

経営者「ここね、経営が厳しくて閉めることにしたんです」
私「。。。。。それってつまり倒産ですか。。。」
経「まあ、そういう事ですよね。。。」
私「え、それってもう此処には住めないってことですか?」
    (5秒後)
経「。。。そうですね、はい。。。」


私の心の中「また家なき子。。。。。?」



そうして私はまたまた引越しをするはめになりました。
どうも私は何処にいても家に縁がないようです。
秋山監督に言われました。
「お前は家と男に縁がないねえーー」

。。。。。。。。

そんな私は元気づけにこんな1句を思いだしました
いばらみち 進達波は受けてたて ココロの光 糧となるらん♪

家より男よりまず生き残ること! これこそあたしの人生だ。
と自分を励まし、家捜しを始めました。
フィリピン人はね、人が困っていると本当に助けようとしてくれます。
「何処何処の誰かの家が空いてるから」と言って連れてってくれたり
「私の家の部屋が1つ空いてるわ」と言ってくれたり、多分3、4件見て回ったかな。

そしてようやく今の家が見つかり、とりあえず家なき子は免れました♪
今私はマンダパット家の家族と一緒に住んでいます♪
その様子はまた連絡します♪


1つ Human Spectacleを見つけました。私が前のボーディングハウスを出る前、最後の食事の時でした。
そこにはヘルパーの奥さん(妊娠8か月)と子供が1人、そして私がいました。相変わらず質素な夕飯でした。
私にも十分な量じゃないのに、男の人にはもっと十分な量じゃないはず。しかし。
ヘルパーは自分の分のおかずを奥さんと子供に分けていました。あったかいなーーー。家族の絆って。

そのことをミクシ−日記に書いたら、日本の友、同い年のケイからこんな返事が帰って来ました。
「家族っていいよね。うちも結婚します」


dkjf2385「sフォアp」s@djfgvづtぴq「利府ぁ@すえ9r「ーg卯「アドfkじゃ@瀬尾r^wtばtだfks

        ますだけい!!!役者仲間、ライバル、そして友よ!
        おめでとう!!(先超されたけど。。。。。)


便りがないのは元気な証拠

2007年05月04日
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長らくご無沙汰してました(。・_・。)
相変わらず元気元気の私です♪
この写真。私はこの子をアフロ坊主と名付け可愛がっています。
彼は私のよく行くバナナクレープの美味しいアーティスティックな Cafe rutinに住んでいます。


さてさて。。。。
マニラからバスで約5時間。
高ーい山を1つ超え谷を超え、また山を登り、たどり着いたそこは「バギオ」標高1500M。
2か月くらい前マニラから一度来て一瞬にして「此処に住もう」と即決した場所です♪
Top on the mountain....
第二次世界大戦中、アメリカ郡がマニラが暑いと言って開拓した避暑地らしいです。
長野で言えば軽井沢みたいなものかなあ。
何かね、日本の私の田舎に似た風景で、山だけ見てると長野にいるような錯覚を覚えます。
(マミ−と兄ちゃんの喧嘩声が聞えてきそうです。。。。。)

松の木、すすき、ささの葉、ねこじゃらし、竹 etc... あるんです、いっぱい。
かなり好き。田舎育ちの私にこの大自然はもってこいの場所♪(排気ガス以外。。)


そこに住み1か月ちょい経ちました。
山って言うと、ホントに山でコンビニとかも無いような田舎じゃなくて、
もちろん贅沢もできます。フィリピン1のショッピングモール「SM」もあります♪
「セッションロード」って通りがあって、そこは原宿の竹下通りみたいな感じで栄えてます。

少し車で走ると本当に偉大な、、、、なんて言うんでしょう。山なのか谷なのか崖なのか。。。
私の日本語力では表現出来ないけけど、何か大自然に呑み込まれるような感じがしました。
私、自然が一番のアートだと思います。自然の力は凄い。。
いつかこの山のてっぺんに昇って昼寝して自然と一体化したい。

そして空の色がキレイ。「智恵子は東京に空がないという」(高村智恵子抄より)
ここには本当の空がありそうです♪
今「檸檬爆弾」の智恵はあたしには演じられないです。。。というか演じたくないなあ。。。
今やったら全く違った智恵が出来そう。。だけど演技力は確実に落ちてる。。
。。。。。(あ、もともとないか。。汗)

そんな私のフィリピンの空の下、ヒューマンスペクタクルを捜す旅は続きます。
英語の勉強そっちのけです!

ネタがすでにいっぱいあります 笑
少しづつ更新してくので待ってて下さいね♪

明日は子供の日。こいのぼりあげて子供を可愛がってあげて下さい♪

父親

2007年05月01日
5月1日は父親の17年目の命日でした。
私が10歳の時に、仕事中の事故で一瞬にして亡くなった父。
毎年命日には母と兄で御参りしてたんだけど、今年はなんせフィリピンにいるので
一人で父に感謝の御参りをしてみました。

父さんは私が小さい頃から仕事に忙しく、あんま遊んでもらった記憶とかないんだけど、
今年ほど父に感謝したことはないかもしれない。。。

こっちに来て、本当に生かされているって事に改めて感謝しております♪

死んじゃった父さんだけど、やっぱり父のおかげで私は今存在してるので、
感謝の気持ち忘れチャいけないと思います♪

あー。。。お父さん生きてたら今63歳かしら。。。。
そしたらもう第3の人生、老後の生活ママと楽しんでるでしょう。
生きてたら親孝行してあげられたけど(あと何年後かに。。。)
とりあえず、母さんを安心させまーす。。。。
そんな父、竹内正司さん! ありがとう♪

Divine Light

2007年04月07日
フィリピンに来てすでに4か月が過ぎ去ろうとしている。
来た時はあと6か月もある。。。と思っていたのに、もう2か月しかない。。。。

早すぎる。。。日本に帰りたいと思わないのが不思議。もっともっとここに居たい。

ここに来て私の期待していたこと、望んでいたことがどんどん猛スピードで成し遂げられていっているような気がする。
与えられている。
私がこっちに来た時なんてなんのあてもなく、こんなに世界が広がるなんて思っても見なかった。
望んでいたことがこんなに早く叶うなんて予想して無かった。
セブに行った。ボラカイに行った。フィリピンと言う島国の良い所を見た。

トンドに行った。スモーキーマウンテンに行った。スラムに行った。最下層の生活をしてる人を見た。
ペレーズに行った。電気もほとんど通ってないような島で生きる人々の生きざまをみた。
エネルギッシュな情熱を感じた。 
誰もが生きるために食べている。食べるために生きている。
決して贅沢な生活をする為ではない。金持ちになるために働いているわけではない。
ただ明日を生きるために生きている。
だた子供達を明日生かすために、学校に行かせる為に働いている。
働く。ということ。階級、生活レベル。。。

私は?。。。。。
やりたいことをやるために生きてる。

やりたいことがある。。。。

彼女、彼らに選択肢があるのか。夢を見ても現実はそうもいかない。
でも、その夢が希望であり、生きる情熱。。。

日本に産まれたと言うだけで裕福でやりたいことが思切り出来る自分。
でも裕福すぎて目の前のちっぽけな幸せに気づけなかった可哀想な自分。
そんな自分を見返る。
そして己を知る。
知るごとに自分が1つ1つ大きくなって、でも1つ1つ小さくなっていったりもする。

前私の住んでた一流の寮から見えるスラムの人達を可哀想に思ったりした半面、
自分が淋しい時とか、そこから聞える音楽と笑い声から「可哀想なのあたしじゃん」
と思って悔しかったり、
見下したり見下されたり。。。
天国と地獄の様な差のある場所でも幸せというのは平等にやってくるような気がします。
心は平等であるんだと思います。

そう思ったらこんな貧乏なフィリピン人と裕福な私でも、何にも変わらない。
誰が貧乏だなんて誰にも決められない。誰が幸せかなんて誰にも決められない。
自分のものさしで人を測れない。
幸せかどうかなんて自分が決めればいい。

いつの間にか描き続けてきた「なりたい自分」
なりたい自分だけじゃ、小さすぎるんじゃないかな。と思い始める今日この頃。
人生っていつもころころ変わって、求められるものと求めるものがうまく一体化しなかったり。。

自分の望んでいる人生と、与えられる人生が必ずしも同じとは限らない。。。。。。。

「なりたい自分では小さすぎるのさ」

「もっと大きなモノを求められてるのだ、私は」

未知の世界には必ず希望がある。

世の中に毒されず、超越したところにいたい。
そして誇れる自分であり続けたい。

と。。。ふと思う。。。。

出会い、そして旅立ち♪そして出会い♪

2007年03月25日

お世話になった学校、先生、友達、ヘルパー達とお別れの時が来た。
恋愛の話しが一番盛り上がったteacher Tere と Carla。一緒に「そばかす」を歌ったなあ。
甘〜いリキュール一気飲みさせられたなあ。
コメディアンJoneの授業は楽しかったなあ。
teacher Annaとコリアンと朝まで語り合ったなあ。。。

たった3か月で大した友情なんて生まれないと思ってたけど。。
はい、大泣きでした。汗 
寮からタクシーに乗る時、嬉しいのと淋しいのとで一杯でした。

共に勉強した韓国の友達。でも毎日のように「飲み行くぞ」と誘って来た怠け者達。
韓国語を話されるのがうざくて断わり続けてたが、いつの間にかそれが苦にならなくなった私。
(そして彼らは学校を休む 怒)

いっこうに道や名前や単語や部屋番号を覚えない私を見て笑っていた彼ら。
そんな私をいつも飽きもせず助けてくれた彼ら、彼女ら。
家が無くなる、金が無いというと、友達を紹介してくれたり、居候させてくれたり、ジュースを買ってきてくれたりした彼ら。
「forgetting machine」「mistaking machine」「バボ(バカ)」と名付け、笑い者にしたクレイジー達。
愛と人生について片言の英語で語った日。

最後はこの韓国の友達に見送られて寮を後にしました。

We were together only for three months but our bond is strong.

そしてバギオへと出発します♪

ネタが多いよ

2007年03月25日
あれはエバモールでの出来事。そこは2流のショッピングモール。安いとでもスリで有名な場所。
韓国人の友達とDVDを夢中で選んでた。かなり魅力的な映画がいっぱいあって、もの売りのおばちゃんとおじちゃんが「あたしのを買えー俺のを買えー」と競うように「これはどう? じゃ、こっちはどう?」とアタシの好みの物を勧めてくる。

そして、決めた「Memory of Gaisha」日本語タイトルは「SAYURI」
かなり前から観たかった映画。英語小説に挑戦したけど、ついに諦めた作品でした。

ヨシ、買おうとバッグからお金を出そうとした時。。。。
嫌な予感がした。
開いてるんです、チャックが。。。。
あれ、またあたしいつものようにだらしなく明けっ放しにして、、、、、
そこまで思った瞬間気づきました。

スラれた!!!
不思議ですね、人間こういう時、以外と行動は冷静なんです。でも心は。。。

一瞬にして、スリと認めたくないという気持ちと、ここはフィリピンだった、という後悔でいっぱいだった。
人が夢中になってるのを良い事に、誰かがチャックを開けて持っていった。
しばらくぼう然としてる私を見て、おばちゃんとおじちゃんが「どうしたの?」と聞いてくる。
「財布盗まれた」という私を、誰がやったんだ、ひどいわね。という顔をする。

そこであ、この人達絶対グルだ。そこの位置から見えないわけが無い。と悟る。
グルになってやるフィリピン流のスリにまんまと引っかかった。
(と、断定はしたくないけど)

いつもバッグは肩からかけて必ず前に持っているのに、なぜ今日に限って!そしてこのスリで有名なモールでなぜ私はバッグを後ろにしてしまったのだろう。
まんまとひっかかってしまったのだろう。
ホントにバカだーと自分を責めつつ、フィリピン人にかなり頭に来た。

でも幸い現金は200円程度しか入ってなかったので、救われた。
でも、銀行のカード、、、これは痛い。。。
なぜなら。それは今後のバギオでの生活費だったんだ〜ヽ(`◇´)/
明日引越しだったのに。。。

再発行には相当手間がかかる。。。
あーあ。。。

そうゆうわけで、いつも「お金落ちてないかな〜」なんて捜し歩いている間に自分の財布が誰かに持ってかれました。。。あは。

守るべきもの

2007年03月20日
NGOでお世話になったフィリピン人スタッフの住むスラムで大火事があったとの情報を聞き、
やじうまのごとく私は飛んで行きました。

小さな家が密集している地区なので火事の周りが早いわりに、こっちの消防車は行動が遅いので
江戸みたいにすぐさま大火事に。

最初の私の印象。。

確かに周りは黒こげだけど、確かに焼けたニオイするど、、、
確かにおじちゃんが屋根を建設してるように見えるけど。。。。

え、でもどこに火事があったの? わからないんですど。。。。
家燃えちゃったんだよね?無くなっちゃったんだよね?
だってみんな働いてますよ? 昨日だよね、火事のあったのって。え、だってみんな笑ってますよ? 
え?なんて?
••••笑うしかないって??

火事当時から1日後。。。
「ちょっと〜 あなたの家どこよ〜?」
「私の家?それがね〜、昨日燃えちゃったのよ〜」
「あら、本当? 奇遇ね〜 私もなのよ」
「あらま、それは大変。どうしましょうね〜これから」

「とりあえず、笑いましょう」

1日前は家が無くなって一緒に泣いていたお隣りさんと、次の日にはこの会話。。。。

「家無くなっちゃったねー」という私に
「家無くなっちゃったのよー、ちょうだい」
というおばちゃん。

さあ、みんな、この人達に何を思う???

というわけっで、みきおばりに一句♪

フィリピナの太陽に負ないその笑顔
負けてられない日本のみそ汁♪

ではでは。

「Kaleidoscope World」

2007年03月14日
This is my favorit philippines song.....
フィリピンの歌で一番好きな歌です。

So many faces, so many races
Different voices, different choices.
Some are mad, while others laugh
Some live alone with no better half
Others grieve while others curse
And others mourn behind a big black hearse
Some are pure and some half-bred
Some are sober and some are wasted
Some are rich because of fate
And some are poor with no food on their plate
Some stand out while others blend
Some are fat and stout while some are thin
Some are friends and some are foes
Some have some while some have most

Every color, every hue
Is represented by me and you
Take a slide in the slope
Take a look in the kaleidoscope
Spinnin’ round, make it twirl
In this kaleidoscope world, yeah

Some are great and some are few
Others lie while some tell the truth
And some say poems and some do sing
And others sing through their guitar strings
Some know it all while some act dumb
Let the baseline strum to the bang of the drum
Some can swim shile some will sink
And some will find their minds and think
Others walk while others run
You can’t talk peace and have a gun
Some are hurt and start to cry
Don’t ask me how
Don’t ask me why
And some are friends
And some are foes
Some have some while
Some have most

Every color, every hue
Is represented by me and you
Take a slide in the slope
Take a look in the kaleidoscope
Spinnin’ round, make it twirl
In this kaleidoscope world, yeah

Smoky Mountain

2007年03月05日
photo_01
photo_02
スモ−キーマウンテン。そこはゴミ山。マニラのトンド地区にある場所。
一番都市貧困層が集中している場所。いわゆるスラム。
最下層の人々がそのゴミの中から再生可能な物を拾って換金し、生計を立てている。
その数約1500世帯。

信じられない光景だった。
ゴミの山。煙がたちこめる。
ゴミ山のすぐ隣りに小さな掘っ建て小屋がたくさんあってそこに人が住んでいる。
そこに着いた瞬間、鼻を突くニオイ。見渡す限りのゴミの山。大量のハエが飛び回る中、
人々がゴミを分別してお金になりそうなものを捜すその姿。
小さな子供さえも真っ黒になりながら働いている。
1つの袋から捜物をする少年。歯のないおじさん。溢れんばかりの笑顔。駆け寄ってくる子供。
手を繋いでくるガキんちょ。
小さな家で雑魚寝してる家族。
マニラは暑い。小さな川が流れている。東京湾のような色をした水中で子供達がまっ裸で泳ぐ。

スラム地区は興味半分で行くもんじゃない。
分かっている。だけど見たかった。
何を感じるんだろう、、、恐かった。汚いと思ってしまうかもしれない、軽蔑してしまうかもしれない。
あたしには想像も出来ない生活だから。

だけど、その現状を目にした瞬間、私の気持ちはすごくクリアだった。
もちろん同情もあったし、可哀想だとも思った。汚いとも思った。
けれど、なんか気持ちは晴晴れしていた。
それは多分みんなが笑顔だったからかもしれない。

NPOの知合いに通訳を頼まれて、受けた。スモーキーマウンテンに住む1つの家族を訪れインタビューをした。
(自分の英語力を分かってからやるべきだった 汗)

果てしなく続く辛い辛い人生。どんなに明るい未来を夢見ても、その日ご飯が食べられるかさえ分からない。
朝5、6時に起きてご飯を食べる。毎日ダンプで運ばれて来る、私達が捨てたゴミを拾う。お金になりそうな
ものが見つからなければご飯が食べられない。
歩いて、捜して、また歩いて、、、、時にビンの破片で足を切る。それでも歩き続ける。
美味しいものなんか食べられない。ゴミから出るガスで病気にかかりやすい。
ここに住む人々は下痢、嘔吐、皮膚病などの病気を抱えている人も少なくない。病気をした時が一番辛い。
病院なんか行けるわけが無い。。。彼ら彼女らにはどうすることもできない。
なんとかここから出ようとしても、結局戻って来てしまう。今日は良くても明日は分からない。
いつ政府に追い出されるか分からない、毎日不安な生活。。。
でも今は此処に住むそのコミュニティーをもっと良くして行きたいと願う彼女。
彼女は政府から一時的に借りた家に家族3人で住んでいる。旦那さんと息子さん。
その息子は本当の息子ではないのだけれど、小さい時から育てて来た。
そして今もその子が学校に行けるように一生懸命生きている。

ここに住む子供の中でたった20%が小学校に行ける。(そのうち卒業出来るのは5%)

最後に彼女が言った言葉を一生忘れないだろう。
「私は他のみんなの為に生きています。この子(息子)と他の住民たちを助けてあげたいからここにいます」(直訳)

大粒の涙を流していた。。。。
このたった2つの文章からもの凄い言葉に出来ない感情が私の中に生まれた。
言葉にするのは無理ですが。。。。
母の顔が浮んだ。

あの大粒の涙の意味を私は全部理解することは不可能です。
救いたい子供がいる。愛する家族がいる。助けたい仲間がいる。
金持ちだけが貧乏人を救えるわけじゃない。貧乏人だって貧乏人を救える。
彼女との会話のたった30分の中で見た気がしたもの。。。

希望。

彼女は生きている。
スモーキーマウンテンの住人達は確かに今を生きている。

あたしは自分を誇った、日本人であることを誇りに思った。
けれど、竹内知子一人の人間として恥ずかしくなった。
(英語のスキルも含めて)

その夜、あたしはお酒をたらふく飲んだ。美味しいご飯を食べた。
先生の中で唯一信用できる大好きなteacher Anaと話した。
あとCindy とMaxとClark。
LOVE & LIFE。。。。
愛と人生について。
最後、人生って難しいね。で終った。