いいことばかりじゃないけどーー
2007年11月09日 13:01:00
ただいま文明世界へと戻ってきました♪ また1週間後に文明ゼロ(に近い)山奥に戻ります。
1か月ちょっとカリンガ州パシルのアムダラオという所に住んでいました。
この1か月子供達と共に舞台の稽古をしていました。
正直。。。。
キツかったーーーーー(ーー;)
何がって?
あたしはこの27年間美味しいものを食べて育ち、好きな事やって、苦しい時は仲間や友達に愚痴ってストレス発散して、
思うまま、贅沢に生きてきた。
分刻みでスケジュール入れて急がしく生きてる自分がなんだかんだ好きだった。
でもこの27年の私ではこの山奥では通用しない。
生活はとてつもなくシンプル。
食事は今の時期米、豆、少しの野菜が殆ど。
私のこの1か月の食生活はほぼ毎日米と豆と3種類くらいの野菜でした。あと自分で持ってきた魚のカン詰。
住んでる時はもちろんなんの文句もない、ただ食べられることに感謝し、あたしは米と豆をたらふく食べた。
みんなが食べ終わっても一人米と豆をむさぼっていた。
だってお腹すくんだもん。
芝居の稽古の時間になる。朝8時集合のはずなのに集っているのは私だけ。。。。。。て、、、あの。。。。って感じなんですけど。。。。フィリピンの何処へ行っても時間にルーズなのは共通みたいです。
だいたい8時からの稽古だとしたら始まるのは9時〜9時半。この間にあたしは疲れちゃうね。
テンションも下がるしさ。
明日は必ず8時きっかりに集合!! と渇を入れてもやっぱり始まるのは9時から9時半。。。。はあ。。。
本番が近づくに連れてピリピリしてる私。 しかしそんな私の気持ちなんて知ったこっちゃない、子供達にとっては。
何でこののーーーんびりした山奥で、アタシ一人、たった一人だけが忙しくしているの???
と、自分が情けなくなる自分が更に情けない、というかもどかしい。。。
そんな感じで稽古をほぼ毎日してたのですが、バギオに帰る直前、私はついに堪忍袋の緒が切れました。
まず、切れたのが脚本を持ってこない子供に対して。あれほど脚本は大事だから毎日持って来てと言っておいたのにも関らず
子供「トモコ、もう暗記したよ」
私「。。。。。。。。。家に帰って脚本取ってこい!!」
ここから私の爆発は止まりませんでした。溜まり溜まったものが全て滝のように流れ出て来ました。
この時はなぜか私のしどろもどろな英語が、流暢になっていました。
不思議だとこ。。。まあ言葉が出て来る出て来る。。。。
一人一人に質問する。例えば「ここの台詞は誰に対して言っているの?」「どうしてあなたはこう思ったの?」
誰一人として答えられない。
いつも私は生徒たちに彼らが私の言う事を理解してるかどうか確認してきた。
「質問は?」「無い」
「脚本理解できた?」 「できた」
でも実際は理解できてない。
分からないなら分からないと言って。知子の英語が聞き取れないなら聞き取れないと言って。
理解できない部分は質問して。
最後に私は、この舞台をどうしても成功させたいんだと言った。なぜならあたしはこの場所が好きだから。
子供達と一緒にピクニックに行った。川に泳ぎに行った。それは全て交流を深める為。
皆で一つのモノを作るってことは、皆の気持ちが1つになって仲間意識、信頼関係がなきゃいけない。
だから私は何時間も歩いて隣りの隣りの村までみんなと出掛けた。言葉なんか通じなくたってそこから信頼関係が生まれた、生徒と先生なんて壁はなく、大人と子供もない。
だけど、みんなの舞台に向かう気持ちが少しづつズレていることが悲しかった。
私と同じモチベーションを持とうとしてくれている子供もいた。でもばらつきがあってまとまっていない。
私はもう一度、皆で1つのものを作ることの意味を話した。
あたしは一度切れると止まらない、そしてしまいには泣き入るんですよねーーーー。。。。
大人になれてない自分も情けないわあ。。。。
しかしやっぱり難しすぎる。舞台を作る?演出する?フィリピン人の子供役者と日本人のアホ演出?
文化が違う、生活が違う、感覚が違う。。。感性が違う。何もかもが違う。
今迷路です。
どっかに何か答えがあるはず。。。。。。。
12月1日、2日とエコシアターフェスティバルの本番です。
文明を観た事がないこの子供達ははるばるバギオの都市へとステージショーを見せに山から1日かけて下りてきます。 良いものを作りたい。
それだけ。
また日記しまーす♪
1か月ちょっとカリンガ州パシルのアムダラオという所に住んでいました。
この1か月子供達と共に舞台の稽古をしていました。
正直。。。。
キツかったーーーーー(ーー;)
何がって?
あたしはこの27年間美味しいものを食べて育ち、好きな事やって、苦しい時は仲間や友達に愚痴ってストレス発散して、
思うまま、贅沢に生きてきた。
分刻みでスケジュール入れて急がしく生きてる自分がなんだかんだ好きだった。
でもこの27年の私ではこの山奥では通用しない。
生活はとてつもなくシンプル。
食事は今の時期米、豆、少しの野菜が殆ど。
私のこの1か月の食生活はほぼ毎日米と豆と3種類くらいの野菜でした。あと自分で持ってきた魚のカン詰。
住んでる時はもちろんなんの文句もない、ただ食べられることに感謝し、あたしは米と豆をたらふく食べた。
みんなが食べ終わっても一人米と豆をむさぼっていた。
だってお腹すくんだもん。
芝居の稽古の時間になる。朝8時集合のはずなのに集っているのは私だけ。。。。。。て、、、あの。。。。って感じなんですけど。。。。フィリピンの何処へ行っても時間にルーズなのは共通みたいです。
だいたい8時からの稽古だとしたら始まるのは9時〜9時半。この間にあたしは疲れちゃうね。
テンションも下がるしさ。
明日は必ず8時きっかりに集合!! と渇を入れてもやっぱり始まるのは9時から9時半。。。。はあ。。。
本番が近づくに連れてピリピリしてる私。 しかしそんな私の気持ちなんて知ったこっちゃない、子供達にとっては。
何でこののーーーんびりした山奥で、アタシ一人、たった一人だけが忙しくしているの???
と、自分が情けなくなる自分が更に情けない、というかもどかしい。。。
そんな感じで稽古をほぼ毎日してたのですが、バギオに帰る直前、私はついに堪忍袋の緒が切れました。
まず、切れたのが脚本を持ってこない子供に対して。あれほど脚本は大事だから毎日持って来てと言っておいたのにも関らず
子供「トモコ、もう暗記したよ」
私「。。。。。。。。。家に帰って脚本取ってこい!!」
ここから私の爆発は止まりませんでした。溜まり溜まったものが全て滝のように流れ出て来ました。
この時はなぜか私のしどろもどろな英語が、流暢になっていました。
不思議だとこ。。。まあ言葉が出て来る出て来る。。。。
一人一人に質問する。例えば「ここの台詞は誰に対して言っているの?」「どうしてあなたはこう思ったの?」
誰一人として答えられない。
いつも私は生徒たちに彼らが私の言う事を理解してるかどうか確認してきた。
「質問は?」「無い」
「脚本理解できた?」 「できた」
でも実際は理解できてない。
分からないなら分からないと言って。知子の英語が聞き取れないなら聞き取れないと言って。
理解できない部分は質問して。
最後に私は、この舞台をどうしても成功させたいんだと言った。なぜならあたしはこの場所が好きだから。
子供達と一緒にピクニックに行った。川に泳ぎに行った。それは全て交流を深める為。
皆で一つのモノを作るってことは、皆の気持ちが1つになって仲間意識、信頼関係がなきゃいけない。
だから私は何時間も歩いて隣りの隣りの村までみんなと出掛けた。言葉なんか通じなくたってそこから信頼関係が生まれた、生徒と先生なんて壁はなく、大人と子供もない。
だけど、みんなの舞台に向かう気持ちが少しづつズレていることが悲しかった。
私と同じモチベーションを持とうとしてくれている子供もいた。でもばらつきがあってまとまっていない。
私はもう一度、皆で1つのものを作ることの意味を話した。
あたしは一度切れると止まらない、そしてしまいには泣き入るんですよねーーーー。。。。
大人になれてない自分も情けないわあ。。。。
しかしやっぱり難しすぎる。舞台を作る?演出する?フィリピン人の子供役者と日本人のアホ演出?
文化が違う、生活が違う、感覚が違う。。。感性が違う。何もかもが違う。
今迷路です。
どっかに何か答えがあるはず。。。。。。。
12月1日、2日とエコシアターフェスティバルの本番です。
文明を観た事がないこの子供達ははるばるバギオの都市へとステージショーを見せに山から1日かけて下りてきます。 良いものを作りたい。
それだけ。
また日記しまーす♪